BASIC RESEARCH

基礎研究

脂質から病態および生命の根源的理解を目指す!

本学に着任した20年近く前、発生工学動物、分子生物学的手法を駆使して脂質代謝の転写制御機構解明の研究を手掛け、エネルギー代謝のホメオスタシスにおける転写因子ネットワークパラダイムを提唱しました。特に、SREBP、PPAR、LXRの生理的意義や生活習慣病の病態への関与を動物モデルで実証し、そのメカニズムを細胞レベルで解明してきました。逆の発想から飢餓やストレス下に働く新規のエネルギー転写因子CREBHを発見し、特にその生理機能や病態への関連を展開し、糖尿病、生活習慣病の新規治療法開発に向けた臨床応用を目指してきました。その後、オミクス解析をはじめとした生体を包括的に捉える様々な手法が進歩し、科学のアプローチは大きな転換点を迎えています。

私が一貫して研究を進めてきたSREBPは、脂質合成転写因子として、あらゆる臓器におけるバイオロジーの生理、病態ネットワークのハブ的ノード(結節点)になっています(Shimano H et al. Nat Rev Endocrinol, 2017)。私たちの研究室は、このSREBPを起点とした各研究テーマを担当する大きく5つの研究グループで構成されています。グループ全体でカバーする研究分野は多岐にわたり、各グループが連携するだけでなく国内外の多くの研究者とも有機的に連携し、革新的な脂質研究を行っています。

筑波大学医学医療系 内分泌代謝・糖尿病内科教授 島野仁

SREBPを起点とする脂質の量と質に基づいた疾患病態の理解と制御

Sterol regulatory-element binding proteins(SREBPs)はbasic-helix-loop-helix-leucine zipper(bHLH-Zip)ファミリーに属する転写因子であり、脂質合成に関与する遺伝子の発現を制御することで、様々な臓器における脂質の量と質、両方の調節に重要な役割を担っています(Shimano H et al. Nat Rev Endocrinol, 2017)。SREBPsは1993年にLDL受容体遺伝子やコレステロール合成系遺伝子を調節する転写因子として、ノーベル生理学・医学賞受賞者のGoldstein JL、Brown MSらによって同定されました。脊椎動物のゲノム上にはSREBP-1とSREBP-2をコードする2つの相同遺伝子(SREBF1、SREBF2)が存在しますが、さらにSREBP-1には転写開始点の異なるSREBP-1a と-1cという2つのアイソフォームが知られており、SREBP-1aは脂質合成全般、SREBP-1cは脂肪酸合成、SREBP-2はコレステロール調節に関与しています。通常、SREBPsは膜結合型前駆体タンパクとして小胞体に局在しますが、細胞内のコレステロール量の変動や各種刺激によりゴルジ体へと輸送され、タンパク分解酵素により切断を受けN末端側が核に移行して転写因子として働きます。

SREBPは脂質合成系遺伝子の発現制御のみならず細胞増殖、小胞体ストレス、アポトーシス、オートファジー、炎症そして概日リズムなどの多岐に渡る生物学的プロセス、肥満、糖尿病、脂質異常症、脂肪肝、動脈硬化症などの代謝性疾患の発症機序に深く関わることが報告されていますが、その分子メカニズムは未解明な部分が多く、我々はそのメカニズム解明を目指して日々研究を進めています。

関谷グループ

グループリーダー

関谷 元博

代謝産物センサー分子を軸にした代謝や生命現象の新しい理解と臨床応用

我々はCtBP2と呼ばれる転写抑制因子が代謝産物と結合するポケット構造を有し、結合する代謝産物によって活性が変動する代謝産物センサーとして働いており、その理解を進めると全く新しい形の代謝の理解、ひいては生命現象の理解につながることを見出しました。NADH/NAD+は様々な代謝と連動して制御されている代謝産物ですが、CtBP2は健常人ではこれらと結合しており活性化、メタボリックシンドロームの発症に重要な転写因子に結合し、防御的に働いています。一方、肥満病態では脂質の1種である脂肪酸CoAが増加しており、CtBP2のポケット構造に脂肪酸CoAが結合、これによりCtBP2の不活性化が起こり健常人では抑制されていたメタボリックシンドローム関連遺伝子の発現が上昇、病態形成につながります。

こうした発見は従来説明が十分できなかった代謝の基礎的な理解を進めるだけでなく、CtBP2のポケット構造を標的に新しいメタボリックシンドロームの治療戦略が立てられることを意味しており、我々はこうした新しい理解とともに創薬標的としての理解を深めるためその分子構造的な基盤も明らかにしました(Sekiya M et al. Nat Commun, 2021)。従来のメタボリックシンドロームの治療戦略はインスリンなどホルモン作用を介したものが中心で、インスリン治療は肥満を助長してしまうことに端的に表されるように様々な限界がありました。実際に多彩な薬剤が開発された現在もメタボリックシンドロームの患者さんは増加の一途です。また基礎的な理解においてもCtBP2を中心とした新しい代謝システムは代謝疾患のみならず、がん、免疫、発生など領域横断的な生命現象に大きな役割を果たしているものと思われます。

我々は代謝産物センサーを手掛かりにしながら、広く代謝がどのように生命現象を調節しているのか、全く新しい角度から理解したいと思っています。端的に言えば還元力の源となっている電子、生命のエネルギーに必須な酸素、そして脂質などの代謝産物。先行論文のつなぎ合わせのような研究が多くなされる昨今ですが、まっさらな雪に足跡をつけていくような心地よさのある研究です。そしてこうした基礎的な理解を日々の診療で向き合っている患者さんの笑顔につなげられるよう明日の医学を切り開く気概で研究に取り組んでいます。

大崎グループ

グループリーダー

大崎 芳典

コレステロール生合成系の生体における生理機能の解明

高コレステロール血症に対する代表的な治療薬であるスタチンは、副作用として横紋筋融解症を発症することが大きな問題となっています。スタチンはコレステロール合成系の律速段階酵素HMGCRの阻害剤ですが、筋肉におけるスタチンの作用によってコレステロール合成が抑制されることが副作用の発生に関わるかどうかはこれまで明らかにされていませんでした。そこで我々のグループでは、筋肉でHMGCRを欠損したマウスを作成し、そのマウスがスタチンによる横紋筋融解症のモデルマウスとなることを証明しました(Osaki et al. BBRC, 2015)。また、脳神経系でのみHMGCRを欠損した臓器特異的欠損マウスを作成し、これらのマウスの解析を通じて臓器毎の細胞内コレステロールの制御機構の解明および新たなコレステロール代謝機構の発見と治療への応用を目指しています。

腸肝循環における転写因子CREBHの機能と生活習慣病

我々のグループでは小胞体に存在する膜結合型転写因子群(CREBH、SREBP)の機能解析を行っています。SREBPは全身の組織で発現するのに対し、CREBHは栄養代謝の根源にある栄養吸収組織である小腸と栄養代謝組織である肝臓にのみ発現している転写因子です。

我々は、CREBHが肝臓において生活習慣病改善ホルモンFibroblast Growth Factor21(FGF21)の発現を直接上昇させ、食事性肥満を抑制することを報告しました(Nakagawa et al. Endocrinology, 2014)。さらに、CREBHは脂質代謝を改善させる核内受容体である転写因子PPARAの発現を制御することで脂質代謝を改善させ、CREBHとPPARAはお互いに発現を制御しあうオートループ活性化機構を構築することで、効果的に脂質代謝を改善することを報告しました(Nakagawa et al. Sci Rep, 2016)(Nakagawa and Shimano. Int J Mol Sci, 2018)。実際にCREBH欠損マウスを作成し解析を進めると、食餌誘導型の非アルコール性脂肪肝が早期に悪化し、肝炎を生じさせることを確認することができました(Nakagawa et al. Sci Rep, 2016)。他方、小腸のCREBHは小腸においてコレステロール吸収トランスポーターNPC1L1の発現を抑止することで血中コレステロールを低下させ、それゆえに小腸CREBH過剰発現マウスは高コレステロール食により誘導される胆石形成を抑制することを見出しました(Kikuchi et al. Mol Metab, 2016)。

現在我々は、非アルコール性脂肪肝、動脈硬化などの病態形成における分子レベルの解明を大きな目標に掲げ、CREBHを中心とした肝臓と小腸の連関(腸肝循環)が栄養代謝に与える影響の解析や、他の末梢組織に与える影響について注目し、そのメカニズムの解明を目指しています。さらに、CREBHは小胞体からゴルジ体、核へと細胞内局在を変え、さらに翻訳後修飾(タンパク切断、糖鎖修飾など)によってその活性が制御されており、これらのメカニズムと栄養代謝との関係についても解析を進めています。

松坂グループ

グループリーダー

松坂 賢

脂肪酸の質の違いによる代謝制御および疾患発症の分子メカニズムの解明

近年の肥満ならびに生活習慣病患者の増加により、これら疾患の治療および予防に対しての有効な方法が早急に求められています。我々は、脂質合成転写因子SREBP の新規標的遺伝子の探索過程において、炭素数12-16の飽和・一価不飽和脂肪酸を基質とする脂肪酸伸長酵素Elovl6のクローニングに成功しました(Matsuzaka T et al. J Lipid Res, 2002)。さらに、Elovl6欠損マウスの作製、解析を行い、このマウスでは脂肪酸組成が鎖長や不飽和度に応じて著しく変化するとともに、食餌性および遺伝性肥満によるインスリン抵抗性が、肥満が持続した状態においても改善されることを明らかにしました(Matsuzaka T et al. Nat Med, 2007)。すなわち、組織や細胞に蓄積する脂質の「量」のみならず、脂肪酸の鎖長、不飽和度やそのバランスといった脂質の「質」もエネルギー代謝および生活習慣病発症の重要な決定因子であり、Elovl6の阻害は肥満が持続した状態においてもインスリン抵抗性、糖尿病、心血管リスクを改善する新たな治療法となる可能性があります。

そこで、本研究では、「脂肪酸の質の違い」という新しい視点から、生活習慣病の新しい予防法・治療法の開発を試みます。Elovl6遺伝子改変マウスの表現型解析、脂質メタボローム解析、トランスクリプトーム解析、臨床サンプルでの検証を統合的に行い、脂肪酸伸長酵素Elovl6を通じて脂肪酸の質の違い(脂肪酸多様性)の生理的意義とその分子メカニズムを理解した上で、疾患に対する根本的な予防法・治療法の開発を目指します。

矢作グループ(ニュートリノゲノミクスリサーチグループ)

グループリーダー

矢作 直也

栄養シグナルとゲノムの相互作用の解明(ニュートリゲノミクス)

栄養シグナルの解析のための個体を用いたアッセイ系として、肝臓へのアデノウイルスによるルシフェラーゼレポーター遺伝子の導入と生体イメージング(IVIS)を組み合わせた定量系 (in vivo Ad-luc 解析法)を確立してきました。さらに最近我々は、ゲノム上の全転写因子を網羅する発現ライブラリー(TFEL:Transcription Factor Expression Library) を独自に開発し、それを用いた転写複合体解析法(TFEL scan法)を確立しました。in vivo Ad-luc解析法やゲノム編集技術の活用により、様々な栄養シグナルが投射されるゲノム上の領域同定を進め、そこに我々独自のTFEL scan転写複合体解析法を組み合わせることにより、栄養シグナルとゲノムの相互作用の解明を目指します。

宮本グループ

グループリーダー

宮本 崇史

代謝応答性トランスオミクスネットワークの可視化および操作技術の開発

細胞は周辺環境の情報を感知・処理する過程でトランスクリプトーム・プロテオーム・メタボロームなど異なる階層の情報を動的に変化させていきます。この際、各階層のオミクス情報は独立的ではなく、密接に連動した『トランスオミクスネットワーク』としてコード化され、細胞はそのコード化された情報に基づいて適切な機能を状況に応じて選択・実行していると考えられています。これらオミクス情報の中において、メタボローム情報は他の階層のオミクス情報の結果が集約したものであると同時に、他階層のオミクス情報やそれらによって構築される細胞内シグナルダイナミクスに大きな影響を与えることが我々などによって報告されています。

我々のグループは、ある代謝情報の変化が特定のアウトプットへ帰結する過程で構成される情報網を『代謝応答性トランスオミクスネットワーク』として定義し、還元論的なアプローチ(オミクス解析や情報ダイナミクスの可視化)と構成論的なアプローチ(Programmable Biocomputing Devicesの開発)を組み合わせることによって、その全容解明を試みています。